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置き去りからの行方不明は危険

北海道の山林に残された小学生の男の子の事件が、今年大きく報じられたとのが記憶に新しいです。

過剰なしつけだとか、DVだとか、親が謝罪する場面まで報道され、その事件を各局が取り上げるようになってすぐ、父から着信がありました。

『北海道の山林に残された男の子、見つかったな、良かったな』というのが開口一番。

突然何のことだろう?と不思議に思っていると、『過剰だった…と頭を下げてはいたけど、世間が言うとおり、なんて酷い親だ!と思ったよ』と、事件についての感想を述べる電話でした。

続けて父は小さな声で、『酷い親だと思ったけど…俺も同じ事してたな、ごめんな』と言いました。

私は小さい時に、家出、置き去りが10回位ありました。

全て父に家から放り出され町を徘徊する事になったり、外出先の車から放り出されて置き去りにされたり、中学校に入るまで続いていたので、勿論嫌な思い出ではありますが、すでに30代半ばで嫁に出て家も出ている私には、すっかり忘れている事でした。

確かに言われると、雪の日に駅前をずっとウロチョロしていたり、閉店するまで大型スーパーの隅っこにずっといたり、公園のベンチで横になっているところを近所の人に見つけてもらったり、常に泣きながら歩いていたので、声を掛けてくれる大人はみんな聖人に見えていました。

しかも問題なのは、教育やしつけのために置き去りにされたり、家出があったりするわけではなく、父の気分でやっていたため、毎回意味がわからず涙を流していました。

今になって謝ってくる父に、何も返す言葉がありませんでしたが、『あれはお前のためを思って…』や『教育のために…』という言葉は勿論出てくるわけがなく、『なんであんな事したんだろうな?酷い父親だよなー』と、一時の感情で動いていた事も明白でした。

自分でもなんであんな事したのかわからないけど、とりあえずごめんね…という父に、驚きを上回って呆れてしまいましたが、年齢を重ねると家出や置き去りの思い出はそれほどトラウマとして残っていなかった事にも、自分自身驚いています。

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